ズレおばさんのプロフィール

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“本当の自分”の名を思い出す旅

 

前年に癌になり、子宮と卵巣の全摘手術を受け、身も心もまだまだ回復途中にいたある日。

お昼ご飯を作っていた私の背後から突然、何の前触れもなくこう言われました。

(当時の)主人:「離婚してくれない?」

私:「は~!?」

主人:「4年間、試してみて、お前無しでもやっていけるとわかったから」

(そうか、あの無視され続けてたのはその為だったのか~。と何故か妙に納得)

本来ならば、収入を得るという目的のためにそれまで外で働いた経験がなかった私にとって、今更離婚だなんてとんでもない!となっていたに違いないのですが、この時何故か動揺はおこらず、不思議なほど心が静かなのです。

と同時に、私の中の本当の自分から出てきた言葉は ”時が来た“ だったのです。

どんな時が来たのか、この先どうやって生きていくのか、全くわからなかったのですが、不思議と不安も恐怖も湧いてきませんでした。

東京に所有していた小さな家だけを住む所として貰い、あとは無条件で離婚を受容した私は、自分の物だけを持ち、それ以外は全て置いて東京に帰ったのです。

冒頭からこんな話を聞いたら、普通は

えぇ―!?と思いますよね。

常識的に考えたら、おかしいですよね。

かなり感覚がズレていると思います。

でも、これが私の言う”本当の自分”の意識から出たことなのです。

それは、世の中の常識とはズレています。

このズレた感覚でいられたからこそ、不幸や苦しみ、怒りや悲しみ、恨みつらみや憎しみを持つことなく、予期せず起こってきた負の出来事でさえも淡々と受け入れられたのです。

そんな経緯で約9年前に専業主婦を卒業した私は、両親が年老いていたため、譲り受けた東京の自分の家ではなく、実家に戻り両親と同居する事になりました。

そして今は元気な94歳の母と二人暮しをしています。

父は4年前に他界しました。

母は介護の必要は無いのですが、見守りが必要です。

毎日の食事を作ったりする時間の制約もあり、自由気ままに外出出来ないストレスや、親子とはいえ意見や価値観の違いからくる精神的なストレスは大きく、特に父が他界して母との二人暮らしを始めてしばらくの間は結構大変な日々を送っていました。

世話をしなければいけないという義務感の中で、2年くらいもがいていたでしょうか。

母はプライドが高く世話をされるのが大嫌いな上、人の言う事を聞かないので、衝突が絶えません。

そんなある時、子が老いた親を見なければならないと言う、世間一般の常識や義務感にがんじがらめになっている自分に気がつきました。

つまり、自分で自分の首をぎゅーっと絞めていたのです。

もし、私が居ない時に母に何かあったら私の責任と無意識に思い込んでいたのです。

まさに、その時は世の中の常識に囚われて生きていたのでした。

しかし、同じ状況に置かれても本当の自分の意識で生きると、全く違う認識になります。

私の責任の捉え方が変わりました。

他人に責められる事を恐れるのではなく、起こることすべてを受容する覚悟が出来るのです。

その覚悟が出来たことで、自然と恐れが無くなり私の責任を受け入れつつ、自由に行動することが出来るようになりました。

本当の自分がいる世界は、安心がベースになっています。

そのため自分にとっていい事しか起こらないと心から信じられるのです。

調子のいい考えだ!と思われるかもしれませんね。

ズレている考え方と思われるかもしれません。

まあ、もう少し読んでみてください。

この世の常識からあえてズレる事で、母に対する意識と行動が変わりました。

例えば、

  • 本人が望まない限り、一切手助けをしない。
  • 留守中の心配はしないで、私は自由に外出をする。(ただし、母の食事の用意はして出る)
  • 外泊の時は、遠慮することなく子供たちや兄弟に助けてもらう
  • 母が好きなように行動することに、口を挟まない。  …等々

普通なら心配や他人への遠慮で出来ない事が、意識をズラし、変えたために気軽に出来る様になったのです。

それだけではありません。不思議なことに、毎回タイミング良く手助けをしてくれる人が現れたり、他にもツイてる!ツイてる!と思えることが頻繁に起こるようになりました。

2018年はますます幅広く行動出来るようになっています。

・5月にはマウイ島に行き、エネルギーを感じ、美しい海でのんびり

ハレアカラ山から朝日が昇る前に出た不思議な光の柱

宿泊場所から望む素敵なビーチ

・1年半前から始めたゴルフも、今ではコースを回れるようになって最高の仲間とゴルフを楽しむ生活

8月のある日のゴルフコース

・本物の味と食材を求めて、グルメ旅行をしたり

・ついに起業家を目指して、行動を開始する様にもなりました。

本当の自分でいられることで余計なことをあれこれ考えることもなく、好きな事が、やりたいタイミングで自由に出来る!という物凄く素晴らしい奇跡のような日々を過ごせるようになりました。

では、ここに至るまでの私がどんな人生を送って来たか。

乳児期に遡ってお話ししたいと思います。

潜在意識に刻まれた恐れと自己否定

大寒波に見舞われた年の1月、東京で産まれた私は生後わずか1週間で、一酸化炭素中毒で死にかけました。

原因は、暖房の為に使われた火鉢や七輪 (歳がばれる!?w) の炭から出た一酸化炭素中毒でした。

あと30分発見が遅かったら死んでいたそうです。

生まれた時から、死は間近にありました。

3歳の頃から、一酸化炭素中毒の弊害が体に現れてきました。

皮膚がサメ肌状態、特に冬場は酷くてカサカサでフケのように白い粉が吹いていました。

50歳を過ぎる頃までカサカサの皮膚は完全には治りませんでした。

もう一つは、自律神経の極度の乱れで、18歳の頃、先生から「あなたの今の体では40歳まで生きられませんよ」と言われるほどでした。

一酸化炭素中毒は体はもとより、心にも長い長い間悪い影響を及ぼし続けていました。

息が出来ない苦しさや、泣き叫んでも分かってもらえなかった当時の死への恐怖や悲しさがトラウマとなって、潜在意識に残り、何十年にもわたって自己受容や自尊心に影を落としていたのです。

(それがわかるまでに半世紀も待たなければなりませんでした。)

自己受容や自尊心の欠如すなわち自己否定や劣等感そして恐れや不安は本当の自分を知る時にとても弊害になるもので、それらを潜在意識から外していく必要があります。

”本当の自分”が存在する世界

小学校5・6年生の時、いじめに遭います。

火付け役はまさかの担任の先生でした。

彼女の児童への差別的な扱い方がいじめに繋がり、私はそのターゲットになったのです。

カサカサ肌が気持ち悪がられ「あいつに触ると不潔になる!」とクラスのみんなから避けられ孤立してしまいます。

家でも両親は忙しくしていたので、私の淋しさは誰にも理解されませんでした。

ひとりぽっち・・・

それを救ってくれたのが、どこからともなく体に響いてくる姿なき声でした。

「泣くんじゃないよ」

「誰!?

初めて、この物質世界ではない見えない次元の存在を知った瞬間でした。※

見えない声との対話は大人になるまで続きました。

私はいつも、その姿なき声を「おとうさま」と呼んで、話していました。

私が必要な時はいつも答えてくれるのです。

初めのころは自作自演なのではないかと疑い、試してみたこともありました。

ほとんどが悩み事の相談だったので、問いかけた後、考え付くありとあらゆる答えを自分で考えるのです。

これ以上他の答えはないはずと思って、答えを待ちました。

すると帰ってくる答えはいつも自分では思いもよらない、しかも完璧な解決策が返ってくるのです。

この声は、自作自演なんかではない!そう確信してそれからは素直に信じる事にしたのです。おかげで1人でいても淋しい事はなくなりました。

実はこの声こそが、本当の自分が存在する見えない世界からの声だったのですが、それと分かるまで、まだまだ沢山の経験が必要でした。

※ 誤解されるのを承知の上で敢えて言うのですが、私が言っている見えない世界とは 霊界の世界の事ではありません。もっと高次元の世界の事を意味しています。

本当の自分に委ねて生きる

家庭になんとなく違和感を感じていて早く家から出たいと思っていた私は、19歳の時に結婚し家を出ます。

夫の転勤ですぐにアメリカへ移住。

2年半が過ぎた頃、移住先で長女を出産します。

しかし、出産直後、またも私は死を体験する事になるのです。

この経験は私にとってはまさに、”本当の自分”を知るための登竜門を通過する通行手形の

委ねる という事を学ぶためのものでした。

ツイてる人生 豊かな人生 楽しい人生 有り難い人生 云々・・・

全てはここから始まります。

今は医学の発達によってある程度の原因は解明されていますが、昔は出産後に原因不明で急に母親が亡くなる事が稀にありました。

私もその1人だったのかもしれません。

突然、私は死ぬ!と言う感覚が襲ってきました。

その感覚を払いのける為に楽しい事を考えたり、天井の穴を数えたり、気を紛らわせる為にいろいろやりました。

今死ぬのはどう考えても理不尽だと神に訴えたりもしました。(当時、クリスチャンだったので)

でも何をしても、死ぬ感覚から逃れられないのです。

看護婦さんにも訴えたのですが、なにせ英語で説明しなくてはいけないので上手く表現出来ないのです。

看護婦さんも何かおかしいと感じているようなのですが、血圧は正常だし、首をかしげながらもどこかに行ってしまいます。

確実に死ぬことから逃れられないと分かった私は、神に条件を出しました。

「もし、命を助けてくださったら、クリスチャンとして、もっと聖書を読みます!もっと伝道をします!」と。

するとしばらくして、スーッと死の感覚が薄れていくではありませんか!

「助かった!!

余りの嬉しさに、声を上げて泣きました。

…ところが、喜びもつかの間、またあの死の感覚がもどってきたのです。

「えっ?」 

「どうして!」

戸惑いました。

失望が襲います。

助けてくれたと思ったのに。

もう、どうもがいても死の感覚はなくなりません。

激しい葛藤の末、ついに逆らう事をやめました。

お産の後なので気力も体力も無かったせいもあります。

アメリカの地で、産まれたばかりの子を置いて逝くのも何か意味があるのかもしれないし、神がそれを許すのだから、娘も夫も大丈夫なのだろう、と全てを受け入れ覚悟を決めました。

「全てを委ねます。」

そう一言言い、衣服を整え、手を組み、命が自分の身体から抜けていくのを感じていました。

足の方からどんどん冷たくなって、命が鼻の辺りまで抜けてきています。

あとちょっと!

それで私の人生が終わる…

目を閉じて静かに待ちました。

ところが、そのちょっとがなかなか来ないのです。

???

時間が過ぎていきます。

静かに静かに命は身体に戻ってきました。

生きてる

 

この、対照的な二つの死ぬという体験で、どう生きるかを教えてもらいました。

一つは、もし命があったらこんな事をします、こんな風に生きます!と条件付きの約束を提案したわけですが、生かされたように見えて結果は死が戻って来てしまいました。

それとは反対にもう一つは、全てお任せしますと大いなる存在に委ね約束も何もしませんでした。その結果、命が戻ってきました。

この経験を通して、生命のあり方の深さを学びました。

これは”本当の自分”の本質を垣間見た出来事でした。

子育ては親育て

日本に帰って来てから約4年半、その間に次女も生まれ私は子育てに追われていました。

長女が5歳、次女が2歳の時、長女を幼稚園に入れたくて自分の教育方針に合う自由な幼稚園を探したのですが、当時住んでいた辺りにはどうしても満足のいく幼稚園を見つけることが出来ませんでした。

やっと見つけた素晴らしい幼稚園は、遠すぎて許可されません。

するとそこの園長先生とお話をしていた時、園長先生が「ご自分で造られたらいいですよ」と軽くおっしゃったのです。

もう、それしかないと思った私は教会を通して、お母さん方に呼びかけました。

そこで集まった有志の母親たちと一緒に、1週間に1度、母親が子どもと共に遊び、母親としての学びを深める”母と子のはこぶね学園”を設立し、12、3名の母親と約20名の子どもが集う学びの場ができました。

そして私は十数年間、母と子のはこぶね学園の運営と子育てに奮闘し、子供を通して自分と向き合わされていきました。

この時、色々思うようにいかない子育てこそ、まさに親育てであることに気づかされるのでした。

自分の持つ、様々なこだわりや思い込みを子供は壊してくれます。

このこだわりや思い込みこそ、本当の自分を知るための、大きな障害の1つなのです。

癌の克服と健康の回復

長男が10歳の頃、子育ても一段落してもっとちゃんと子どもの事を勉強したいと思い、通信大学の教育学部心理学科に入学して学びました。

さらに、幼稚園教諭1種免許を取得するために卒業を1年延ばして学ぼうとしていました。

しかしあと1年で卒業という45歳の時、日本の経済の発展は地方が豊かになる事が不可欠と言う持論の実現の為に、夫は中央官庁をやめて故郷に戻り政治家へ転身しました。

私は帯同し、夫の故郷に移り住むことになりました。

政治の世界を垣間見つつ、選挙運動や市民の方々との交流、環境問題に取り組む全国トンボサミットの開催や切り倒される運命にあった400年の杉の保護等々、沢山の面白い経験をしたものの、13年目に夫婦間の極度のストレスからついに癌を発症。

それから2年の間に、癌、狭心症、身体性表現障害症(脳神経伝達物質の異常)と体はボロボロになっていき、徹底的に体と向き合うことになります。

この時、体と心の繋がりやエネルギーが減少している身体はどうなるのか、人は何で生きているのか等々を学ばされていきました。

おかげでどのように意識を変えていけば、病気やケガを克服するだけでなくもっと若返って健康になれるのか。を知ることが出来ました。

”本当の自分”を知るたびに意識が変わる

すると思わぬ奇跡が沢山起きました。

そして恐れや不安から解放され、今という時を安心して生きる事の素晴らしさを体験しました。

私の人生に起きた数々の奇跡や体験談をお話し、本当の自分をまだ知らない人達に、本当の自分はどの様にして知ることが出来るのか。そして

本当の自分=本来あるべき自分=別の次元に存在する自分

を知る事でどんなに人生を素晴らしいものに変えていけるかをこのブログを通してお伝えしていきます。

人は幸せになるために生まれてきました。

みんなに幸せになる権利があります。

そして、本当の幸せは本当の自分が存在するところにあります。

本当の自分を思い出す事が出来れば、幸せになれるのです。

1人でも多くの方が本当の幸せの中に居られるためのお手伝いをするため、ズレおばさんのブログでは人生に違和感を感じているあなたに、本当の自分を知り心からの幸せを得るための秘訣を語りそして皆さんとの繋がりの輪を広げていきたいと思います。

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